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2017年7月に多発性硬化症と診断されました。多発性硬化症の主婦の日々です

愛猫の話①

私が3月に退院した2カ月後、愛猫が、肺水腫で利尿剤を処方されていたのですが、利尿剤が合わず、急性腎不全にもなり、肺の水も溜まったままで呼吸が苦しく、入院となりました。

 

いつもは私にべったりの子が、入院するその日の朝珍しく、旦那の膝に抱っこされに行きました。自分から。

とても苦しそうだ、と旦那に言われ、様子を見続けました。

午前診療ギリギリの時間に、犬猫病院に駆け込み。そして、

 

肺水腫が酷い、今日は帰せません

 

と。

 

最初はワクチンを打った病院で心雑音と言われ、紹介状を貰って大学病院で精密検査。そこで、先天性の肥大性心筋症とわかりました。2018年1月のこと。

この子を家に迎えたのは2017年11月。

ペットショップを責めたい気持ちは勿論あります。司法書士さんにも無料相談しました。

でも、そんな事をしても、この子が治る訳ではない。商材、みたいな言い方をされたら、私がおかしくなりそう。そして、旦那が、治らないなら、この子が幸せに暮らせる様に、愛情を注いで怒り音を聞かせないで毎日過ごそう、と言いました。ペットショップと争う事は、やめました。うちに来れて良かった、と愛猫に思ってもらえる事が1番だと。

精密検査をした大学病院には、大きなわんちゃんも多く、吠える声に怯え切る愛猫。ここには通いきれない、と、循環器専門医を探し、電車で50分くらいのところに行きました。

遠いし、緊急時にはどうするのかと心配していたところで、近所に設備の整った犬猫病院があれば…と探していたら、ありました。

循環器専門医から、超音波検査結果を全てDropboxでメールで送ってもらい、タクシーで千円くらいのところの犬猫病院に転院。

そこに、入院しました。

 

愛猫を預けた帰り、愛猫を入れて来たケージも一緒に預けて。

身軽過ぎて、なんだか、ふわふわする。

酸素ケージの中で、点滴をされながら、それでも頑張る、愛猫。預ける時には、お互い悲しくなるから、顔も見ないで。

水曜日に入院して、木曜日は病院もお休み。

だから、お見舞いに行けなくて。

金曜日の朝イチに行きました。

なんで置いて帰ったにゃー!!と言わんばかりに怒って鳴いてました。

鳴きまくり過ぎて、少し安定したから退院にしようか、と先生。私が来たことでテンションが上がったのか、心拍数も呼吸も荒くなり、少し落ち着いてから退院にしましょう、と。

その間に酸素テントを病院からレンタルし、タクシーで家に運んで、うまく動かせない手指だけど、何とか組み立てて、酸素を充満させて。

自分の疲労感や痺れなんて、どうでも良かった。

午後診療が始まるまで、少しだけ横になって、栄養ドリンク飲んで、病院にお迎え。

私も満身創痍。でも、あの子は、待っている。

そして、退院。

またもやタクシーに乗って家に。今度は、愛猫と一緒に。

お喋りな運転手さんでした。

半分くらいタクシーで行ったところ。

呼吸が苦しくなり、愛猫は、開口呼吸を始めました。猫は、犬と違って、口を開いて呼吸はしません。その時には、呼吸困難状態。人間なら溺れてる感じ。

「早く病院に引き返してください!」

私は叫びました。

お喋り運転手さんは、「うちにも猫がいるけどね〜大丈夫でしょ〜」みたいにペラペラ。そして、引き返すの、遅い。そこの角に一度入れて、引き返せよ、早く。

「うちの猫はリード付けて散歩してね〜」

私、頭に来ると、口は、余りよろしく無くなります。いいから早く戻れ、お喋りクソジジイ的な事を口走ったと思います。

お釣り要らないからさっさと下ろせ、そして去れ的な事を言って、病院に駆け込みました。

そこから、2週間以上、愛猫は入院しました。

肺水腫の苦しさで、酸素ケージのトイレシートを変える2、3分も、外に居れません。

この子が大好きな家で最期は過ごさせてあげたい、どんな壮絶でも、私と旦那が撫でながら看取るために、どうしても家に帰したい。でも、私も旦那も、車の免許が無いのです。酸素を嗅がせながらでないと、帰れない。車のラジオソケットに電源を繋ぐしかないけど、タクシーでは拒否られる事も多いそうです。

どうしよう、と、毎日お見舞いに行く度に、入院ケージを見ながら、ポロポロ涙を流し、診察時間いっぱいケージの前に陣取らせてもらってお見舞い。先生達も看護師さん達も、邪魔だなって思ったはず。

基本、泣いてて眠れない食べられない。

2回目の入院のステロイドパルスの食欲増進で食べちゃって肥えた気がしてたけど、もう、爪楊枝みたい、私。

私の精神崩壊を慮って、旦那は、新しく猫を飼おうと提案してくれました。