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2017年7月に多発性硬化症と診断されました。多発性硬化症の主婦の日々です

2018年8月〜9月

会社員ではなくなりました。

私は、運転免許がないので、身分証明書は基本、健康保険証。

あとは、社員証

資格の必要な仕事でした。その資格証も顔写真入りだったので、それも併用。

でも、退職手続きで、あらゆる証明書は会社に返納。

健康保険は、退職後も傷病手当金受給で所得が発生するので旦那の扶養には入れないと健康保険組合の担当者に言われて任意継続。任意継続が切れるのが怖くて、年払い。来年の3月まで→税務署に問い合わせる件があって、そこで促されたから、念の為に旦那の健保組合に聞いたら、うちの健康保険組合傷病手当金は所得と認めてないので扶養に入れますよ!奥さん、やられましたね!年払いしちゃったら、取り消せないと思いますよ、あー残念、と。

 

Σ(-᷅_-᷄๑)はあああ!?

 

扶養に入れるなら、国民年金も、任意継続保険料も要らなかったじゃん…何十万よ…

健康保険組合の担当者に伝えたけども、不満しか残らない対応で。健康保険組合取りまとめの厚生局にも連絡し、知り合いの弁護士に間に入ってもらおうか聞いたけど…担当者不案内での行政不服審査手続きをやっても、健康保険組合の手続き負荷になるなら取消を認めなくても良い、と厚生局からの通達を確認。

その担当者が、友人だったのですが、電話は「移動中なんだ〜」と出てもらえず、顛末をメッセージで話してもスルー。

 

友人、やめました。

 

間違いなんて、誰にでもあります。

不案内に、は!?と思ったんじゃない。

彼女なりの見解があったのだろうし、経験則もあったのでしょう。

でも、こうだった…(´;Д;`)と私が連絡した時に、先ずは、ごめん!と一言伝えてさえくれたら、友人補正もあり、どんな溜飲も下げます。

でも、何日経っても、スルー。

あり得ないだろ(笑)

体調悪くて寝込んでいたのかも知れない、色んな彼女なりの立て込みごとがあったのかも知れない。

でも、私は、たまたま友人だっただけです。

これがビジネス相手なら、どうでしょうか。

自身の不案内で、先方に損害を与えた。

理由はどうあれ、先ずは、直接話す事から私なら始めます。そして、不案内を認めます。

こんな、スルー決め込まれたら、訴訟起こされてもおかしくない。

着信拒否にしました。

今の私は、ストレスは出来るだけ、避けて生きていく。現役バリバリで働いてるなら戦いますよ。行政不服審査手続きでも何だってします。

でも、そんなストレスで、体調おかしくする訳にはいかないんです。守れるものは守る。

 

一応、国民年金減免手続きもしてみました。

真夏の日差しの中、役所の年金課からの帰り道、怒りで少し震えました。

不案内じゃない。

一言、ごめん!の無さに。

友人と思ってしまっていたのは、私だけだったのか、と。

着信拒否にしたのは、年金課からの帰途だったと思います。私がどう考えているかをメッセージで伝えた上で。非通知で電話がその後ありましたが、勿論出ず。縁切りを悟ってかけるくらいなら(ry

 

とりあえず、そんなこんなありましたが

2018年9月15日に、ウェディングパーティーを開くことが出来ました。

ほんっっっと、楽しかった。

人生で、一番楽しかった。

みんなの笑顔も嬉しかった。

こんなに、嬉しくて楽しい事が私に未だあったんだ、と、嬉しくて楽しくて、仕方なかった。

ウェディングプランナーの女の子も、本当いい子で、いい子で。

あの日は、私たち夫婦にとって、かけがえのない、大切な、Happyな1日です。

記憶するのは、私は得意です。

多発性硬化症での認知機能も、まだ問題ない。

この、記憶は、絶対に、薄めない。