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2017年7月に多発性硬化症と診断されました。多発性硬化症の主婦の日々です

2017年6月30日 髄液検査

iPhoneの充電器もポケットWi-Fiの充電器もなく、寝付けずにぼんやりと翌朝を迎え、とにかく、お手洗いに困るという事に気付きました。

だって、車椅子なんだもの。

ナースコール押してわざわざ看護師さん呼んで、車椅子用トイレに連れてってもらって、終わったらまたナースコール押してベッドに戻してもらって。

半日車椅子だと、感覚が掴めてきて、下半身全てが感覚がないわけではない、左足は生きている、重心を左足にかけたら立ち上がれるのだ、と分かって来ました。

もっと筋肉のある人なら、更に楽なのかな。

看護師さんって、激務なんだなぁ。夜中ずっとナースコールが鳴って(ナースセンターに近い部屋だった)たし、神経内科の入院部屋は高齢者医療と同室だから分かったけど、高齢者介護は聞こえてくるだけでも大変だし、私の車椅子のお手洗いの送り迎えなんて、しばしば待たされちゃうのはもうやむを得ないと諦め。

とりあえず、シャワー浴びたい、シャワー。

なんて思っている最中に、神経内科の先生5人くらいがパーティー組んで病室の私のベッドに来ました。何人かは研修医なのかしら。

「ズイエキケンサシマスネ」

(/・ω・し)/?

「髄液検査しますね」

見たよ!!ネットで見たよ!!!嫌だけど、診断確定には仕方ないんだよね…え、痛いやつだよね?こんな突然?いや、まぁ仕方ないよね。神経を傷付けたら、下半身不随になるかもとかいう同意書にサインして。

右を下に寝転び、窓側を向きました。

めくられる寝間着。背中、半分くらい丸出し、背骨をなぞって、髄液採取の針を刺せるとこを探す医師。見なかったけど、髄液採取の注射針って、太いらしいね…

窓を背に、女医さんが立って、私にどうでもいい話題を投げかけてくれます。

「関東の肉じゃがって豚肉なんだよね~。私、関西出身なんだけど、関西は牛肉なんだよ~。カレーも基本牛肉だから、ビーフカレーの意味がわかんなくてさぁ」

その時、背中側から

「麻酔しますね~」

との声。ですよね、そりゃしますよね。

(;´Д`)!!!痛い!!!!

麻酔注射が既に痛い。痛がっていた左腕が一気に痺れる感じ。

ナニコレ、痛い!!30数年間の人生で、これほどまで痛いことがあっただろうか。

気を紛らわせてくれる女医さんが、涙目の私に、更に必死にどうでもいい話をしてくれる。

「お酒飲むんだよね~赤ワイン派?白ワイン派?私ねー…」←もう聞いてない、聞く余裕ない

(;´Д`)!!!再び、痛い!!!

針刺しますね、とか言われた気がする。でも、もう。朧気。

激痛の中、終わりました。髄液検査。

女医さんの、「この後は水分沢山とってね。あ、緑茶は利尿作用強いからやめた方がいいよ」との言葉を聞いて、パーティーの先生方は、私の髄液をもって去っていきました。

昨日売店で買ったのは、2リットルの緑茶ペットボトル。とりあえず、飲んでおくか、とラッパ飲み。

髄液採取の後は30分くらい安静に横になったままでいないと激しい頭痛が起きがちらしく、横たえられました。仰向け。なんか、茫然自失で、勝手に涙が流れた記憶があります。

30分は安静にって言ったのに。

なぜ、緑茶をがぶ飲みした、私。

お手洗い行きたい…

ナースコールを鳴らして伝えたら、やむなし、との先生のご意見です、と看護師さん半笑いでお手洗いに連れて行ってくれました。あいつ、絶対緑茶がぶ飲みしたよ…と言われていたに違いない。

その後、衣類だの充電器だの、大量の入院必要品、私のリクエスト品を持参して、お見舞い時間外に来てくれた知り合いに、髄液採取されて呆然としたままの私は、感謝の言葉もあやふやにぼんやり応対し、ぼんやり見送り、あ、お金払ってない…とか後からぼんやり思い出していました。

とりあえず、数時間して、髄液検査のショックから立ち直り、大丈夫だろうと看護師さんにシャワーを浴びたいと申し出。かなり右脚の感覚も大丈夫だし、介助なしでシャワー大丈夫です!と看護助手さんを言いくるめ、シャワー。外傷や術後でも無いから、シャワーいいよね?だめ?なんで?と騒いで、許可はすぐ出ました。

そしてシャワー。

そして、事件。お風呂椅子に、右脚が引っ掛かってた事に気付かず、転倒。

右脚の甲の内側から流血&腫れ。シャワー室の真ん前にナースセンターがあるんですよ。

「あ、上がりました?気分は大丈夫ですか?」

と、声を掛けられましたが、ふと右脚に視線を落とした私に気付いた看護師さん。

また車椅子に乗せられ、ベッドへ。

傷の処置をしてもらい、腫れてるから氷枕を足元に用意され、神経内科医パーティー再登場。

風呂場で転倒したことを伝え、介助が要らないと強く言ったのは私だと伝え(だって看護助手さん、めっちゃ怒られてる声聞こえたもん)髄液検査の結果が出るには、約2週間かかると言われ、とりあえず右脚は痛くないし大丈夫、とパーティーに力説。

「髄液検査の結果の前に、もう治療始めますね、これからステロイド点滴します」

 

(。´・ω・)なんで髄液とったの?治療開始するなら要らなかったんじゃ…

 

いや、必要なんですよ、難病受給申請の際に、髄液検査の結果、なんとかっていう成分が検出されたとか書かなきゃだから。その時の私は、なんでよ、と思ってしまったのです。

今日から、ステロイドパルスと言われるステロイド点滴1クール目がスタートするそうです。1クールで3日間連続、2クールするそうです。

いつ退院できるのかしら…生ごみ

iPhoneを充電できた私は、ステロイド点滴の副作用をググっては怯え始めました。野牛肩とか毛深くなるとか、ニキビとかムーンフェイスとか止まらない食欲とか。

入院を聞いて心配してメールをくれた会社の上層部の方に、ステロイド点滴の話をしたら

「元がいいから、丸くなろうが四角くなろうが、大丈夫」

と仕事中なのに励ましてもらえて、とても気が晴れました。

カラカラカラ・・・という音と共に、看護師さんが点滴ぶら下げるやつと点滴一式を持ってベッドに来ました。あぁ、遂に。あぁ。

3日間連続点滴だから、点滴針は留置です。針、左腕に刺しっぱなし。なんか今日、色々針、刺される。髄液なんか取られた後だから、点滴の針なんて、痛くも何ともない。どーぞーって感じ。それでもステロイド点滴にはビビッているのを看護師さんは察知していたんでしょうね。

「思ってたんですけど、有村架純にめっちゃ似てますよね!」

うん、もう、緊張を和らげる嘘だとわかっているけど、うん、ありがとう。緊張でひねくれていた私は、「でもステロイドで、ムーンフェイスにはなるし、ニキビも出るんですよね…」とネガティブ発言した記憶があります。

様々な副作用があるステロイド点滴ですが、私に最初に訪れたのは、点滴最中の口の中の苦さでした。そして、点滴終了後も、お米が苦く感じる、やたら人参が甘く感じるという味覚の変化でした。3時間の点滴最中には、飴とかグミが欠かせず、病院食も苦く感じないものだけ選って食べて。洗顔時、下を向いても、頬がふわっと視界に入るくらい顔は丸くなりました。そして、火照り。そして、ステロイドハイ。変なハイテンション。でも、一日ではとれないのか、もげそうな左腕の痛みはその晩も続きました。

 

煌めく週末の新宿の街を病室の窓から見て(変な気が起きない様に、窓は数cmしか開きません)、週末はここに繰り出しては飲み歩いたり、朝は通勤でヒールを鳴らして闊歩していたのに、なんでよ、なんでなのよ、どうして私なのよ、そこまで不真面目なことしてないはずなのに、したのかしら?無意識?いや、それにしてもさ。涙が出ました。

車椅子から、赤ちゃんのあんよ補助器大人版みたいな歩行器になったので、夜、お見舞いに来てくれていた旦那とエレベーターホールに行きました。話せるし、自販機あるし、窓の外の景色違うし。そこから、ヒルトン東京が見えたのです。あの、高級ホテル。そこで思いました。

へこんでる場合じゃない、何入院してしょんぼりしてんのよ。入院して、病院の窓からヒルトン見てる場合じゃない、だって、まだ、ヒルトン、泊まってないよ。泊まりたい。

旦那に言った記憶があります。ヒルトン泊まりたい、と。

あれから1年11か月。まだ泊まれてませんが、いつか必ず。車椅子介護状態になる前に、オシャレして、ヒルトンでディナーして宿泊して。いや、ルームサービスでもいいけどさ。もはや、デイユースでもいいけどさ。

残っている時間は、予測不可です。今だって、明日、泌尿器科行くかなーやっぱ痛いな、尿閉からの導尿かなー、やだな、外出できるの?外食とか映画とか、どうなの、これ、でも痛い。膀胱炎じゃなく、膀胱痛い。だから、毎日、超楽しい事をしながら生きたいの。出来るうちに。楽しめるうちに。

早くヒルトン行かなきゃ!