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2017年7月に多発性硬化症と診断されました。多発性硬化症の主婦の日々です

入院生活徒然・神経心理テスト、そして診断確定

最初の1クール目のステロイドパルスは、副作用と戦いつつも終了しました。

気付けば、右脚の感覚が少し戻ってきていました。

気付いたのは、毛抜きで右膝に何故か生えた1本の太い毛を、毛抜きで抜いた時。

ステロイド点滴は終わっても、毛の問題は続行です。

 

怠い。

とにかく怠い。

溶けそう。

泥みたいって、この事か。

しかし、怠くてもなんでも、シャワーだけは毎日欠かさずに浴びていました。

シャワー室の掃除は毎朝8時過ぎに終わるんですよ。潔癖症までは行かないけど、ちょっと神経質で、私。なので、シャワーは毎朝、朝食後すぐ。ベッドにも、直接触れたくないと、高校からの友人にもママにも大量にタオルを持ってきてもらい、ベッドにバスタオルを敷き詰めていました。

友人は、今治タオルを買ってきてくれて、今に治るっていう願掛けもありでこれを選んでくれたんだね!!と言ったら、知らなかったwwと。そんな彼女の呑気さに救われました、ありがとう。

入院中でも、基本、洗濯と乾燥機は自分です。助けを借りたら幾らでも看護師さんも看護助手さんも手伝ってくれたと思いますが、これくらいはやらないと体が鈍る、私は普通だと思いたくて、自分でやっていました。

ほぼ毎日違う人がお見舞いに来てくれて、付き添いありじゃないと自販機に行っちゃダメという監視下だった私は、その度に500mlの水を買い貯めて行きました。でも、暇だからすぐに飲んじゃうんですよね。ご飯も苦くて食べたくないから、水ばっか飲む。

お見舞いに来てくれた一番慕っている上司に、お水を頼んだら、急に降ってきた雨の中、硬水・軟水・炭酸水、とバリエーション豊かに6kg分も買って来てくれました。

ほぼベッドで毎日過ごし、便秘の私の腸を救ってくれたのは、硬い炭酸水でした。

助かりました、ありがとうございます。

 

そして、神経心理テストが、突然行われました。最近、テレビでも認知症がとりあげられる事が多く、このテストも少し見知っている方、いそうです。3つの言葉を言われて、その後違う認知テストをするのですが、30分後とかに、「先ほどの3つの言葉を教えてください」とか言われるのです。車・雪・赤い、とかだったかな。赤い車が雪の中を走るイメージを想像して覚えておける様にした記憶が。

90分くらいテストをされました。

退院後に結果を知るのですが

・関心が薄い

・集中力がない

・飽きっぽい

とかあった気がする。病気とか関係なく、私の性格だと思うのですが…

認知機能には今のところ障害は出ていない様でした。

 

「明日、お母様は病院に来て、先生からのお話を一緒に聞いてもらえますか?」

突然の看護師さんからの深刻そうな声色。

(;´・ω・)!!!

何!?なんなの!?

とりあえず、急遽都合をつけてもらって、2時間かけて翌日、ママに病院に来てもらうことに。

病名告知と今後の生活の注意点、想像しうる障害の告知でした。

 

多発性硬化症、確定。

 

昔やった、突発性?虚血性?視神経炎が最初の症状発現だったそうです。

その時にどこの病院にかかったか聞かれていました。その病院にカルテや視野検査結果の取り寄せをしてくれていて、入院前に異常がないと言われた脳神経外科からもMRI画像を取り寄せてくれていて、診断確定に至りました。涙を流した髄液検査の結果も、一躍かっています。大学病院でわかったのは、脳神経外科よりも大学病院の神経内科MRIのスライドの方が薄切りだということ。何より、病変が、私の場合は脳にはないそうで、頸椎と胸椎だそう。脳神経外科じゃ異常もないはずですね。

視神経炎。私は、コンタクトか眼鏡が必須な、ド近眼&ド乱視です。

数年前、最初、電車の中吊り広告が見えにくくて、あれ?コンタクトの度が変わったかな?といつものコンタクト屋併設の眼科に行ったんです。そしたら、そこで、視野がおかしいです、大学病院に行ってくださいと。そこで、原因不明の視神経炎と言われて、メチコバールというビタミン的な薬を処方されました。なんとなく何か月かで見える様になったので、まぁいいかーでした。

それがこの病気の最初。

思い起こせば、その頃かな、膀胱炎を繰り返し始めたのも、

 

覚悟をしてた私よりも、ママの方がショックを受けていました。

この子が近い将来車椅子??と。

いやいや、この前も車椅子だったじゃん。

手足がきかなくなる?

いや、今も右脚と左腕おかしいじゃん。

 

毎日違う人がお見舞いに来てくれて色んな馬鹿話したり、面会時間外に来たママにキレたり、旦那がプリザーブドフラワーを買って来てくれて嬉しかったり、でも、そんな中でも、どんなに覚悟を決めていたって、私も一人になった時に、病室でメソメソ泣いたりしました。あんなにしんどいステロイド点滴をしたのにおさまらない痛みに、不自由な手足。そう言えば、よく転んでたな。足が上がってなかったなあ、ここ数年。

痛みをそんなに感じないなら、碌に動きもしないこの右脚、今なら痛くない、いますぐ切り落としてしまいたい。見た目が何もなくて、痛みが人にわからないなら、この左腕、切り裂いてしまいたい、そうしたら痛いでしょ?って分かってもらえるはず。

そんな事を何度思ったかわかりません。

でも、そんな時に思ったのは、入院してから会った誰もが、それで、また笑顔を見せてくれることはない。悲しむだけ。憐れむだけ。

別に、綺麗ごとなんて言いたくない。そんなことして治るなら、どんな綺麗ごとも並べ立てる。立て板に水、のごとく、並べ立てます。

だけど、治んないんでしょ、じゃあ仕方ない。

諦めと開き直りも肝心です、人生。

同情するなら金をくれ!じゃないですが、同情するなら、一緒に楽しい事をしてくれ、美味しいご飯を食べてくれ!です。お金ももちろん、ウェルカムですけどね( `ー´)ノ

「美人薄命かなぁ」なんて、友達に言ったら、「あなたくらいの美人なんて、そこら中に転がってるわ!(思い上がるな!)」と怒られました。すみません。